--私のシナリオ作法--
『想像力によって得る願望』
去年の11月から髭を生やしている。
これがいったいシナリオとどう関係しているのか?
何の関係もないようだが、私の場合、一概にそうは言い切れないのである。
簡単に言えばこの髭は思い込みの産物だ。
もちろん思い込んだから髭が生えたというわけではない。
髭を生やせば何かがあると思い込んで生やした髭なのだ。
ここで問題になってくるのが、いったい何を思い込んだかということ。
これが大事。
去年一年間を振り返ってみると‥…・あまり振り返りたくもない悲惨な年だった。
一年間つき合った映画の企画が何本も流れ、
しかもそのうちの一部は無料奉仕になってしまった。
なにがなんでもギャラ払え!と言いたいところだが
訴訟問題にまで発展してもめているところへ首をつっこむ勇気、いや、
精神的な余裕などあろうはずもない。
ま、これからのお付き合いに期待しましょ…‥・と思ったところで気がついた。
この状況はいろんなアンケートでシナリオライターの諸先輩方が答えている
「腹の立つこと」ではないか。
ウーム、いつの間にやら僕もいっぱしのライターか?
‥…・などと思っていたら劇団の公演で大赤字を出してしまった。
もともと火の車だったのが焦げて真っ黒になってしまった。
そんな一年。(もちろん少しはちゃんと仕事もしたけれど)
そこで考えた。
この状況を打破するには何が必要か。
脳天気なおきらくさ、それとも血のにじむ、いや知のにじむ努力と言うべきか。
脳天気ではだれにも負けない。
血のにじむのは嫌だし、知がにじむには教養が足りない。
やはり髭だ。これしかない!
髭が生えたらどんないいことがあるだろう。
まず第一に、童顔の僕が年相応にみられるようになる。
これはいい。年下の奴に生意気な口を開かれなくてすむようになる。
最初から「ムム、できそうな奴!」と思ってくれるかもしれない。
第二に、二重あごを隠せる。
悲しいことだが最近太った。
第三に、毎日髭を剃らなくてもすむ。
う−ん、これが一番かもしれない。これで運勢もかわる‥‥。
はたして髭を生やしたのはそんな理由だったのか。
それでは「一億円もらったらどうしますか」と聞かれて
「 埼玉あたりに家を買います」とか
「どれだけ税金がかかるか計算して残りは貯金する」とか、
そんなことを考えるのと同じだ。
シナリオを書くとき、同じようなことをよく考える。
この男は一億円を騙し取るために何をするだろうか、
この女は男と別れるためにどんな馬鹿なことをするだろうか。
そしてワープロに向かって叫ぶのだ。「俺には才能がない!」
しかしそれは才能と言うよりも想像力がないと言ったほうがいい。
ライターは書いている間、いろいろな登場人物を演じる役者になる。
思い、行動し、話す。
しかしそれは空想の産物だ。空想で語弊があればそれは想像力の産物だ。
役者はその世界を生きる。
ゆえに役者にとって一番重要なことは想像力の刺激だと僕は思う。
想像力を刺激してでてきたものは、現実的、実用的ではないことがおおい。
なぜなら想像力によって生み出されるのは願望だからだ。
本当の願望とは「家を買う」とか「貯金する」とかといった
平凡な現実に基盤を置いたものではないと思うからだ。
もし、自分の現実的な経験を元に感情を作りあげて行くならば、
僕はいつまでたっても
オードリー・ヘプバーンとの夢のような一夜を描写できないだろう。
役者ならそのゴージャスな思いを伝えることはできないだろう。
すごく当たり前なことではあるが、できないことを考え、
体現するからこの仕事は楽しい。
仮想現実でなく、空想現実、想像現実とでも言うペきか。
想像できればどこへでも行ける。
言いかえれば平凡な日常へ戻ることもできるのだ。
しかしその平凡は願望によって特殊化されている。
で、髭の話。
僕はいったい髭を生やすということで何を想像し、何を望んだのか。
‥‥秘密である。
そう簡単にはあかせない。
「似合わないから馬鹿にされないうちに剃ったほうがいいてすよ」
などと劇団員に大きなおせっかいをやかれても、僕はまだ髭を剃っていない。
単に気分転換?
いぶかしがる劇団員達。
隙をみては抜こうとするふらちな輩。
何を思い込んだか、それが大事。
それを想像するだけて、もしかしたらおもしろい話ができるかもしれない‥‥。
そう思いませんか?
(月刊シナリオ 1993/6月号掲載)