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脚本家で 演出家で 劇団座長、福田卓郎のOfficialサイト

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福田が雑誌やパンフなど色々なところに書いたものです。

シナリオライターとしてデビューする以前から私は劇団を主宰して公演を打っていた。
それがライターとしてデビューするきっかけになったのだが、
はやいものですでに25年になる。書いた戯曲の数も50を超えたと思う。
その数多くの作品に出演してくれている仲間が、私の書いたテレビや映画を観て「福田君らしいね」「卓郎さんらしくない」という。


 彼らは自分の書いた脚本を一番たくさん読んでくれているし、それを演じるわけだからその読込みの深さだって普通に読むのとは段違いのはず。
その仲間が言うのだから「らしい」があるのは間違いない。
どうやらそれはコメディーであるとか人情物であるとかサスペンスであるとか、そういうことではなく、セリフまわしにあるらしい。


 自分で上演する戯曲の場合は、効果を狙いそれが不自然な会話でもたたみかけることで世界観を作る事が多い。それが好きだし。
ただ、映像の仕事ではそれを抑えているつもりなのだが、どうやら見え隠れしているらしい。


 なぜ抑えているのか、それは映像でそれを思い切りやるとプロデューサーが渋い顔をするからだ。要するにリアルではないとなる。


 じゃあリアルってなんだ?
セリフを書く時にいつも気にするのはそのことだ。
それは単に日常性があるということではなく、その作品が持つリアリティーにそぐうものであるかどうかということだ。


 演劇の場合のリアルは舞台上にある、その舞台こそがリアルで、そこで行われることは例えなんであれ観客にとってリアルである。
俳優が喋る非日常的な不思議なセリフまわしも同様だ。
だが映像はそうはいかない。
変なセリフを延々と喋る俳優は、やはりちょっと危ない変なやつになる。
舞台と同じ手は使えない。
だからその作品の持つリアルを維持しつつ、自分の思う世界感を生み出すセリフを探す事になる。
独特のセリフまわしで独自の世界観を築いている先輩方にはこのリアルがある。


 ラジオドラマを書く時も同じなのだが、見えないという事がセリフを考える上で大きな影響力を持ってくる。
当然だが動作で表現するものは伝わらない。
主人公が友人にかにからかわれて嫌そうな顔をしてもそれは見えない。


 「チッ」という舌打ちを入れる?
 「お前なぁ‥‥」とセリフを入れる?
 「こいつはいつも俺を苛つかせる」とモノローグを入れる?
 「思わず○○は友人を睨みつけた」とナレーションで説明する?
 「睨むなよ、冗談なんだから」と友人に言わせる?


 ドラマにはテンポもあるし流れもある。それを途切れさせてはもともこもない。
いずれにせよ、ドラマの世界観を壊さない形で見えない情報を伝えなくてはいけない。
そしてそれは説明台詞になってしまってはいけない、それはリアルではないのだ。
説明だと思われず、かつ機能的なセリフを考えないと。


 その時に必要になってくるものがセンスだ。


 センスがあるセリフというのは、単にカッコいい洒落たセリフということではない。
たとえ泥臭いセリフでも、それがどうその作品の中で機能しているかが重要だと思う。


 たったひと言がその登場人物の人間性を現したり、その人がどう生きてきたかを示したり、その場の心情を代弁していたり。
言うのは簡単だけど、それを書くのは難しい。
なぜなら、悲しいかなセンスというやつは大部分が持って生まれてくるものだから。
だけど重要なのはそれを磨くかどうかだ。
当然だけど普段からセリフに対する意識を持って映画やドラマを観たりシナリオを読むようにしたい。


 ト書きにもその人のセンスが出ると思う。
ト書きというと一番に思い浮かぶのは野沢尚さんのことだ。
「ト書きは演出家と勝負するつもりで書く」とおっしゃっていた。


 自分はシンプルに書く事を心がけているが、それでも単なる説明ではなく、ちゃんと機能するト書きを書きたいと思っている。
ト書きに書かれた事が映像化された時にちゃんと意味を持つように。必要のないもの、映らないものは書かないというのがト書きの大原則なので当たり前の事なのだが、それでもその必要なものをどう選ぶか‥‥


イライラしている状況を現すのに、タバコを何本も吸わせるのか、爪をかんでいるとするのか、うろうろさせるのか。主人公が振り返るのに、サッとか、ゆっくりとか、それともなんだこれはと言われるのを覚悟で「ヌルッと振り返る」と書くのか。


 セリフにもト書きにもその人のセンスが出る。
仲間が言う私らしさというのは、ほんのちょっぴり見えている私なりのセンスなのかもしれない。
今見えているだけの大きさしか持ってないのかもしれないが、それがどのくらい輝くのかは、やはりこれからの努力次第。
頑張らないと。


                  (2011年 「月刊ドラマ」)